私は1982年、27歳でキリスト教の洗礼を受けました。
直接のきっかけは、その前年にインドヒマラヤ・ホワイトセイル峰で大学山岳部の後輩
3名が登山中に大規模な雪崩に襲われ行方不明となった事件です。
当時の一橋大学山岳部は慣習的に、最上級生が卒業旅行のように同級生同士で海外
へ小規模遠征(ライト・エクスペディション)に行っていました。私が2年の時にインドヒマ
ラヤ、3年の時にはケニア山などです。
こうした先輩たちの活動に刺激を受け、我々は最終学年の夏季合宿を海外で企画しよ
うと企みました。部員全員でアフガニスタンの5千㍍峰の登頂を目指す遠征計画でした。
しかしながら、結局、遠征資金が作れず断念。翌年にはソ連による侵攻がありました。
こうして失意の内に卒業を迎えた我々に対し、当時1年生だった中村・土方・万濃の3名
は厳しい山行を重ねながら着実にクライマーとしての実力を身に付けていきました。
そして彼らが4年生となった1981年、ホワイトセイル峰を目指す遠征計画が立案され、
OB会での承認を経て8月上旬に出発していきました。
8月の終りには彼らから「全て順調」と書かれたキャラバン途中の絵葉書が届きました。
それから10日も経たないうちに、地元警察から「下山予定日を過ぎても戻らず」の一報。
OB会からの捜索隊と現地警察との合同捜索の結果、頂上直下の雪崩跡が確認できた
為、登攀中、もしくは下山中に雪崩に巻き込まれ氷河に落とされたと認定されました。
天候が不安定になったこともあり、2次遭難のリスクから捜索は打ち切られ、稜線上に
残されたテントやBC等に残っていた僅かな装備類しか日本には戻りませんでした。
翌年も第二次捜索隊が出ましたが、何らの手懸りも得られず虚しく時間が経過しました。
こうした経緯に対し、彼らの遠征計画を積極的にバックアップした一人として心の平安を
求めざるを得なくなり、学生時代の4年間、YMCA寮に起居したことから聖書の言葉が
頭に残っていたこともあり、当時住んでいた岡山県倉敷市の教会で洗礼を受けるに至り
ました。以上が洗礼までの経緯です。